そらまめ日記

大学生・そらまめの日常メモ

あったか布団と朝ごはん

今週のお題「朝ごはん」


ああ、まだ寝ていたいんだ。無理、無理。起きられない。
でも、起きなきゃ。
そんな葛藤をしながら、起きる。
ケトルに水を入れて沸かす。
それから顔を洗って、歯を磨いて。
炊き立てのご飯をお茶碗に盛って、とっておきのふりかけをかける。
沸かしたお湯でお茶を入れて、昨日のお味噌汁を温め直す。
「いただきます」
こたつに座ってご飯を食べ始める。
テレビから流れるニュースは適当に聞き流す。
ふと時計を見れば出発時間ぎりぎりなことに気付く。
慌ててご飯をかきこんで、お茶を飲み干す。
「ごちそうさま」
手を合わせてから食器を重ねて台所へ。
今日は寒いからなあ、厚着していかなきゃ。
忘れ物ないよね、大丈夫。
「行ってきます」
私は自転車に乗り、今日も駅を目指す。
そんな日常。

投稿者が突然消えること

私が小学生の頃、ネットは調べる場所だった。何か分からないことがあるとウィンドウにその言葉を入力する。エンターキーを押すと、今よりもずっと遅い回線からゆっくりと答えが返って来た。中学生や高校生になっても、ネットはやはり調べる場所だったが、その範囲は広くなった。アーティストのPVを検索したり、新刊の発売日を確かめたり。大学生になって私はネットを情報発信の場所としても使うようになった。TwitterなどのSNSやこのブログがそうだ。同時に、他人の発信したコンテンツも見るようになった。ネットは楽しむ場所になった。


ネット上には一般人の作った様々なコンテンツがある。ブログやTwitterに限らず、絵やマンガ、音楽や動画、ゲームやアプリなどなど。制作・投稿しているのは一般の人で、コンテンツの制作は趣味であり仕事は別にあるのがほとんどだ。私はそういうコンテンツを楽しみ、お気に入りの投稿者が何人もできた。


そんな時のこと、大好きな投稿者さん*1が投稿を止めた。気づいた時には過去の投稿まで全て消されていた。辞めた理由は投稿に満足したから、生活が忙しくなったからとのことだった。お気に入りの投稿者が前触れなく姿を消す、という事態に出会うのが初めてで私はかなり落胆した。毎日更新されるその投稿がなくなってしまうと思うととても寂しく、なくなった投稿をどうにかして見られないものかと探し回った。結局、投稿や投稿者さんに通じるものは何も見つからず、目にしたのは惜しむコメントばかりだった。


数か月が経ちショックから立ち直った頃のこと。二人目の投稿者さんは炎上によって投稿を止めた。私自身はこの投稿者さんの大ファンというわけではないのだが他の投稿者さんとのコラボ作品を見ることが多く、そろそろこの投稿者さん単独の投稿も見たいと思った矢先のことだった。炎上の原因は詳しくは分からないが不運としか言いようのないもので、投稿をストップするのも不本意だったろうと思う。一人目の方が悔いなく投稿を止めたのに対して、この方のように続けたいのに続けられなくなってしまうこともあるのかと別の意味でショックを受けた。


三人目はつい最近のことだ。ほんの数か月前に知ってファンになりゆっくり更新される投稿を今か今かと待っていたが、この方も炎上により更新を停止してしまった。幸いなことに、この投稿者さんは現行シリーズの更新停止、しばらくの活動休止、別シリーズの開始を宣言しているものの、どうなるのかは本人のみの知るところだ。私は一ファンとして再開を心待ちにしている。


三人のお気に入りの投稿者さんが姿を消して、私はようやく理解したことがある。ネット上のコンテンツを楽しむ上で、投稿者が突然消えることは覚悟しなくてはならない、ということだ。投稿者はあくまでも趣味でコンテンツを作成しており、仕事や日常生活は別の場所にある。つまり、仕事や日常を脅かされたり、そうでなくても単純にコンテンツ作成に飽きたら姿を消してしまう。そこには何の責任も存在しない。


小学生の頃、私はあるシリーズ本にはまっていた。その作者さんは高齢だったので、病気でシリーズ連載が止まってしまったらどうしよう、と考えたことがあった。作者さんは今でもご健在でありシリーズも無事に完結しているので、全くもって失礼な心配である。この時、私は病気による未完結は考えたものの、作者が突然に引退して未完結になることを少しも想像してみることはなかった。それは作家という職業の人が出版社という会社を通して世に出している作品だからだ。読者は作品を買い求め作家や出版社はそのお金をもとに利益を得ているという構造では、理由の無い未完結は作家にも出版社にも大きな痛手だ。


それに対して、ネット上のコンテンツ(一般人が無料で公開・配布しているコンテンツ)には読者と作家・出版社にあるようなお金の関係は無い。それは投稿者にとって参入しやすく、自由な発想で投稿できる環境だ。しかし、コンテンツを楽しむ者にとって投稿者が突然辞めてしまうことを覚悟しなければならない理由でもある。


そんなことを考えた私は一番大好きな投稿者さんが突然投稿を止めてしまうことを想像した。もしそのような事態が起きた時、いくら覚悟していても落胆してしまうだろう。あるはずもない新しい投稿を楽しみにしてしまうだろう。そして、二度とその投稿が見られないと分かり悲しむだろう。私にはお気に入りの投稿者さんが何人もいる。その人数分だけ投稿が止まることを覚悟しなければいけないということだ。ネット上のコンテンツとは不安定なものだと理解しなければいけないということだ。


もちろん、コンテンツを楽しむ者として投稿にコメントをつけたり、いいねボタンを押したりして投稿者を応援することは可能だ。投稿者が辞めることを躊躇する直接的、あるいは間接的なストッパーになることもありうるだろう。しかし、お金のやり取りが発生せずお互いの顔も見えないという特徴のコンテンツでは決して辞めようという投稿者を引き留めることはできない。


だから、投稿者が突然辞めることを私は覚悟しなければならないのだ。

*1:投稿を停止したお気に入りの投稿者さん三人について例を挙げていますが、その方たちのお名前を出すことは差し控えます。この記事は投稿者と視聴者・閲覧者の関係について考察するためのもので、特定のお名前で検索にかかることを回避するためです。どういったジャンルか分からないのは記事の正確性を落とすとは思いますがご容赦くだざい。

虫の日なのでマダニの怖さを説明します

今日は6月4日で「虫の日」というらしいです。
ということで、私の大嫌いなマダニについて生態と対策を紹介します。

私とマダニの出会い

私が初めてマダニと遭遇したのは去年の5月のこと。お風呂に入っていると膝の裏に違和感が。何かと触ってみるとかさぶたのような感触。だからと言って膝の裏を負傷するような出来事も思いつかない。そう思って見てみると、1㎜の小さな茶色い物体が付いていました。よく見るとその物体からは脚が生えています。もしかして、と思いながら検索をかけるとどうやら、これのようでした。
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↑マダニ 大きさ2㎜ほど

マダニの生態

そもそもダニにはたくさんの種類があります。カーペットに住み着いてハウスダストの原因になるようなダニ(ヒョウヒダニなど)とマダニは全くの別物です。マダニは屋外の山や森、公園や庭などに生息し、動物や人間から吸血することで生きています。大きさは2~3㎜ですが、吸血が終わると1㎝にもなるそうです。吸血には1週間ほどかかり吸血が終わるまではマダニの口が肌に食い込んで取れることはありません。マダニに刺された場合の感染症として「マダニ媒介SFTS」があり、発熱、嘔吐、下痢、食欲低下などの症状が見られ死に至ることもあります。

マダニと過ごしたあの日

どうして刺されたのか、心当たりはありました。その日は一日中、山を歩き回っていましたから。恰好は長袖シャツにジーンズ、スニーカー。マダニはどこからでも入って来る隙があったでしょう。「マダニに刺されたら」と検索すると「医療機関を受診せよ。手で引き抜くのは危険」とのこと。その日はもう夜も遅かったので、病院に行くのは諦めてマダニちゃんと一晩をともに過ごす覚悟を決めました。マダニを観察すると、脚はほとんど動かず(もしかしたら既に死んでいたのかも)、頭は半分くらい皮膚に埋まっている様子。痛みやかゆみは全くないので、気持ち悪いと思いつつも就寝。
翌日、朝一番で皮膚科へ。病院でマダニであるとのお墨付きを頂きました。どうやって取るかはグロいのでカット。感染症対策の抗生剤と傷口への塗り薬をもらって帰りました。
その日から見た目が気持ち悪いのと、刺されたあとの処理が面倒なのとで、マダニは私の宿敵となりました。マダニ憎し、と私は対策を懸命に調べたのでした。

マダニに刺されないためには

マダニに刺されないようにするためには草むらに近づかないのが一番ではありますが、現実にはそうも言っていられません。草むらに入るような時は次のような対策をする必要があります。
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①虫よけスプレー
効能に「マダニ」の忌避が含まれているものを使いましょう。カやハエが含まれていてもマダニが対象となっていない虫よけスプレーも存在します。また、「イエダニ」とマダニは別物ですので必ず「マダニ」の忌避が入っていることを確かめてください。
②服装
服装は綿製品を身に着けないこと。マダニの脚が引っかかりやすいので持ち帰りやすくなってしまいます。登山用品やジャージなど化学繊維のものを身につけましょう。そして、肌の露出をできるだけ少なくします。首元はハイネックやタオルを巻きます。シャツの裾はズボンに入れ、ズボンの裾は靴下や長くつの中にしまいましょう。こうすることで、マダニの侵入経路を塞ぎます。間違っても半袖・半ズボンで草むらに近づかないように。


帰宅したら、次の点に気を付けてください。
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①服や持ち物を払う
屋内にマダニを持ち込まないために、上着や持ち物をよく払いましょう。もし、マダニが付いているようならガムテープで取り除く方法があるそうです。
②お風呂に入る
帰宅してすぐにお風呂でマダニが付いていないか確認しましょう。

もし刺されたら

もしマダニに刺されたら、前述のとおり自分で無理に取ろうとしてはいけません。マダニの口が皮膚に残り体内の病原菌が入り込む可能性があります。医療機関(皮膚科)で取ってもらうようにしましょう。感染症の疑いがあるので、数日間は体調の変化に気を配ってください。

後日談

マダニについて詳しく調べた私は、感染症の危険があったことに慄きます。スポーツ用品店で登山用のジャンパーとズボン、そして有効成分がマダニの虫よけスプレーを購入し、次の機会に備えました。それから何度か山や草むらに入ることがありましたが対策のおかげか刺されることはありませんでした。そして、私の身の回りの人にもマダニへの警戒を呼び掛けています。実は、上の図もマダニ対策についてプレゼンした時の流用だったり。このブログでも「虫の日」ということで、マダニについて紹介しました。参考にしたサイトは以下ですので、興味のある方はどうぞ。
アース製薬「ダニを知る」www.earth-chem.co.jp
国立感染症研究所「マダニ対策、今できること」www.nih.go.jp

これ、うちの花ちゃんだけ?

今週のお題「これ、うちのおかんだけ?」


今週のお題を書こうとして思ったことが一つ。
「私は母親のことを『おかん』とは呼ばないな」
みなさんは自分の母親のことを何と呼んでいますか?おかあさん? かーちゃん? ママ?
私は「あだ名」で呼んでいます。母親の下の名前をもじったあだ名です。ここでは仮に下の名前を「花子」、あだ名を「花ちゃん」としておきます。他の家族も同じようなあだ名があり、我が家はお互いにあだ名で呼び合っています。理由をはっきりと聞いたことは無いのですが、「母親」という役割に関する名前で呼ばれるのを嫌ってのことでしょう。いずれにせよ幼い頃からの習慣なので、自分にとって「母親」が「花ちゃん」であることは当然の事実です。
そんなわけで今週のお題「これ、うちの花ちゃんだけ?」を紹介します。


花ちゃんはとても現実的です。子どもの理想?を全力でぶち壊してきます。例えば、母の日。当時、小学校低学年だった私は花ちゃんに聞きました。「母の日のプレゼントは何がいい?」もちろん、「何でも嬉しいよ」とか「お手伝いしてくれたら嬉しいな」とかそういった答えを期待してのことです。世のお母さんにはそう答える人もいるでしょう。しかし、花ちゃんは違いました。「ビールがいい」買えません。明らかな子ども客のアルコール購入にはレジでストップがかかります。


それ以来、私は母の日にプレゼントを贈ることをやめました。単純にお小遣いに響くし、買うのが面倒だという理由もありましたが…。月日は流れ今年5月。「そういえば、母の日にはビールが欲しいって言っていたよね。今なら買えるよ」成人した私がそう尋ねると。「うーん。ビールはいいや。今年はハンカチがいい」花ちゃんは気まぐれでした。母の日のプレゼントに初めて具体的なリクエストを出された私は、デパートでハンカチを見繕うことに。花ちゃん愛用のタオルハンカチの初夏らしい色を選びました。


そして、母の日。用意したプレゼントを渡すと花ちゃんはとても喜んでくれました。自分では絶対に買わない色・柄だったからだそうで。大切に使うと言っていました。花ちゃんは現実的なくせに私からのプレゼントは全て大切にしてくれています。子どもの頃の落書きやほぼゴミのようなものでも、です。「ビールがいい」というのは花ちゃんの本心であったのかもしれませんが、それでももっとプレゼントを渡せばよかったなと思いました。


現実的で気まぐれでちょっと意地悪だけど大切な家族の花ちゃんに、これからは機会を見つけて感謝の気持ちを伝えたいと思います。

マインクラフトでハードなゴールデンウィーク

今週のお題ゴールデンウィーク2015」

 

今年のゴールデンウィークは遠出することも無く、家に引きこもって過ごしています。そんな時に見つけたのが、マインクラフト。ブロックでできた世界でサバイバルしながら、自分だけの街を造るゲームです。始めてから3日目ですが、詰んでます...。今日は自分の頭の整理も兼ねて、私のワールドを紹介します。

 

マインクラフトってどんなゲーム?

マインクラフトはパソコン版、スマホ版、PS4版などなど様々なバージョンで出されている箱庭ゲームです。私はパソコン版でプレイしています。
マインクラフトの世界はブロックで構成される様々な地形から成っています。地形の配置はゲームの最初で任意に入力できるシード値という値で変わります。つまり、プレイヤーごとに遊んでいる世界は全く違うということです。
プレイヤーは降り立った世界で木を切り、石を掘り出し、獣を狩り、時にはモンスターと戦いながらサバイバル生活を始めます。ある程度発展してきたら、農耕や牧畜、街づくりもできるようになります。どうやって暮らしていくかはプレイヤー次第。壮大な世界感が特徴のゲームです。
 

 始めにすること

このゲームにはチュートリアルも無く、プレイヤーは一人で世界にいきなり放り出されてしまいます。とは言っても、定石はあります。
①木を切り作業台を作る
②作業台で木製の各種道具を作る
③近くの羊を狩り羊毛を集める
④羊毛でベッドを作る
⑤家を作って寝る
といった具合です。
マインクラフトの世界は夜にモンスターが出てダメージを受けやすく、周囲も暗くなり作業しづらいです。そのため、寝ると次の日の昼に変えてくれるベッドは大変重要です。
しかし...。
 

 ベッドが作れない

私が最初に降り立ったのは傾斜の激しい小さな島の頂上付近でした。島にある資源は豚、松、小麦の種、サトウキビ。埋め立てで行ける距離に小島が数島ありましたが、資源は同じく。

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近くに羊がいないのでベッドが作れません。正確には作れないこともないのですが、モンスターと戦う必要があるので、死んでしまうと厄介です。
 

 普通の生活がしたい!

モンスターに怯えること無く、広い土地で生活したい!
という願望は叶わないままゲーム内で幾度の昼と夜を繰り返しました。草むらに潜んだモンスターに殺され、海底に足がつかずに溺れ死に、アイテムを消失させること数回。(あまりにモンスターが怖いので、途中からモンスターが出現しない設定に変更...。)なんとか周囲の小島の状況を把握した時、それは見つかりました。
遠くに大きな島がある...!
私は木からボートを造り、大海原に漕ぎ出しました。
 

 なんて素敵な島でしょう

島に降り立つと目の前に羊!羊!

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小麦の種は圧倒的速さで集まるし、シラカバの木もあります。傾斜も緩やかで住みやすそう。初期地点はここが良かったです。早速、羊を狩りベッドを作成。やっと夜をカットできるようになりました。長かった...。

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↑手前がベッド。奥は右から作業台、かまど、チェスト。
 
やっと初心者プレイヤーとして普通の人生を歩めそうで嬉しいです。次の目標は家を建て、畑を増やし、牧畜や採掘を始めるといった所でしょうか。

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↑試しに畑を作ってみた
 
いや、それよりも早く大陸を見つけたい。
以上、私のサバイバルなゴールデンウィークでした。

私とたまごっちの出会い

今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉


子どもの頃に欲しかったものは「たまごっち」。

TAMAGOTCHI 4U PINK (たまごっち 4U ピンク)

TAMAGOTCHI 4U PINK (たまごっち 4U ピンク)

広告は画面内がカラーになっていますが、私が小学生の時にはまだ白黒のドット絵でした。私の家はゲーム禁止の方針だったので、それまでゲームをプレイしたことは一度もありません。小学校高学年の時たまごっちが流行り始め、私はどうしても欲しくなり誕生日プレゼントにおねだりしました。親が買うのを渋っていたことをよく覚えています。誕生日にたまごっちを手に入れた私は初めてのゲーム体験に夢中になりました。


さて、たまごっちをプレイしたことのある人はご存知だと思いますが、たまごっちの中の時間は現実の時間に一致しています。つまり、自分が起きる頃にたまごっちの中の生物も起き、自分が寝る頃にはたまごっちも寝るというわけです。ご飯も何時間かごとにあげて、たまには遊んでやらないと、たまごっちは病気にかかって死んでしまいます。たとえ死ななくてもお世話をさぼりがちだと、成体に進化した時のたまごっちのランクが変わってしまいます。


でも、このゲームシステムは小学生には厳しいですよね。自分が学校に行っている昼間の時間帯は、全くたまごっちのお世話ができないのですから。もう詳細は忘れてしまったのですが、確か完璧にお世話をこなそうとすると1~2時間に一回たまごっちを操作することになります。何とも依存性の高いゲームです…。


小学校はもちろんゲームの持ち込み禁止だったのですが、何人もの生徒がたまごっちを持ち込んでいました。私はさすがに小学校には持っていきませんでしたが、家にいる時は常にたまごっちを携帯していました。そんな私を見かねて親は「たまごっちの一週間禁止令」を出しました。一週間後に親からたまごっちを返してもらうと、案の定たまごっちの中の生物は死んでいました。当時、私はたまごっちの中の生物をゲームキャラクターというよりは、一種のペットとして扱っていたのでかなりショックを受けました。「お墓」というコマンドで何度もお墓参りをした思い出があります。


それ以来、「ゲームをする時間を決めて、それ以外にはたまごっちに触らない」という新たなルールが施行。そんなわけで、私はたまごっち内の時間をいじることにしました。自分が家にいる時間以外はたまごっち内の時間を夜にして、たまごっちが眠るようにしたのです。たまごっちが寝ている間は何の要求も出ないので、病気になることもありません。そして、自分がプレイする時間になるとたまごっち内の時間を動かして活動時間としたのでした。


こんな裏技によって、私とたまごっちの関係は良好なものとなっていきました。その後も飽きることなく約1年ほどプレイを続け、電池も2回は交換しましたし、イベントがあれば親に連れて行ってもらいました。しかし、最後はやはり電池切れでプレイを止めました。あれほど大好きなゲーム機だったのに、今となってはどこにあるのか見当もつきません。


その後、年齢が上がってゲームとの付き合い方を覚えたということでゲーム禁止令も弱まり、私はDSやWiiなどのゲーム機を買ってもらいました。「どうぶつの森」や「レイトン教授シリーズ」には随分はまりました。友達とよくプレイしたのは「マリオカート」。私はいつも一人で最下位を爆走していました。今は、スマホのいろいろなゲームで遊んでいます。一番好きなのは脱出ゲーム「DOOORSシリーズ」ですね。


子どもにゲームを買い与えるかどうかは難しい問題だと思います。確かにゲームに必要以上にのめりこんでしまうのは考え物です。でも、ゲームで楽しい時間が過ごせることも、友人同士の仲が深まるのもまた事実。だからこそ、ただゲームを禁止するのではなくゲームとの距離の取り方、付き合い方を教えなければならないのでしょう。そういう意味で、私とたまごっちの出会いは最高だったと思います。

「謎の人物」になれなくてごめんなさい

私は高校生の時に謎の人物に出会ったことがあります。それは高校に入学したての頃。休み時間に一度席を外し戻ってくると、教室には誰もいませんでした。よくよく思い返すと次の授業は家庭科室。クラスメイトたちは全員移動した後でした。授業の用意をしながらも焦る私。なぜなら、家庭科室の場所を知らなかったからです。


キーンコーンカーンコーン。始業のチャイムが鳴り、私は新学期早々に遅刻が確定してしまいました。早く移動しなければ、とおぼろげな記憶を頼りに校内を一人でさまよいます。けれど、家庭科室は何度探しても見当たりません。授業が始まっているので廊下には生徒も先生もいません。怒られるのを覚悟で職員室に聞きに行こうかと思った時のことです。


私は謎の人物に会いました。彼は制服を着ていたので生徒の一人でしょうが、特に急いでいる様子ではありません。もしかしたら顔を覚えていないだけで家庭科室に向かうクラスメイトかもしれない。そう考えて私は彼に声をかけました。「すみません、家庭科室はどこですか?」すると、彼はやはりゆっくりした歩調で私を家庭科室の前まで案内してくれます。分かりづらい場所にあるよね、と言いながら。「ありがとうございます」私がお礼を言うと彼は去っていきました。私は彼のおかげで無事に家庭科室にたどり着いたのですが、「いったい彼は何者なのか」という疑問で頭の中はいっぱいでした。


「彼は何者なのか」
①彼はこの学校の生徒である
②この時、すべてのクラスで既に授業は始まっていた
→彼はクラスメイトか、授業に遅刻している、もしくは授業をさぼっている
しかし、
③彼は家庭科室には入らなかった→クラスメイトの一人ではない
④彼は急ぐ様子もなく家庭科室まで一緒に来てくれた→遅刻ではない
⑤先生に見つかるかもしれないのに家庭科室の前まで案内してくれた→たぶんさぼりでもない
それなら、彼はいったい何者なんでしょう?


その後の高校生活で彼に会うことはなく、謎は謎のままで私は卒業を迎えました。何度か高校時代の友人にこの話をしたことがあるのですが、納得のいく答えが出ないまま今に至ります。


どうしてこんな話を思い出したかというと、つい最近私が教室を教える立場になったからです。ある授業の第一回目に教室を訪れると教室変更のお知らせが掲示されていました。この教室とは別の建物で広い講義室です。そして、私が来る前から困った顔で立っている男子学生が一人。ああ、新入生だから新しい教室の位置が分からないのかな、と私は思いました。けれど、私も普段使っている建物ではないので新しい教室の場所はよく分かりません。とりあえず彼には声をかけず、こっちかなと検討をつけて進むとどうやら正解のようでした。振り返ると彼はまだ困っている様子。「新しい教室はこっちですよ」と言うと、分かりました、と返事がありました。実はこの間に始業のチャイムが鳴っていたので、私は急いで新しい教室に向かいました。


新しい教室に着くと先生はまだ雑談中。人数が増えちゃって教室変更したんだよね、とのこと。彼は私の後をついてすぐに教室にやって来るだろう、と思って待つこと1分。…2分……5分………。え?大丈夫?と思った時に彼は教室にやって来ました。彼は高校時代の私のように学内をさまよってしまったのでしょうか。大教室にまぎれた彼に事情を聞くことはできませんが、私は申し訳なさを覚えました。


「謎の人物」になれなくてごめんなさい。